1982年8月 |
モトサロン オープン |
東京都文京区白山通り沿いにヤマハ系ビッグシングルショップを設立。 開店当初からマニアの注目を浴びる。 |
1983年3月 |
東京モーターサイクルショーにデビュー |
SRカスタムをイタリアンカフェレーサーとジャパニーズカフェレーサー2台出展。その後西独モトラード誌に紹介され、海外でも人気を呼ぶ。 |
1984年1月 |
シングルレースに初出場 |
1月15日(成人の日)筑波サーキットで開催された、第2回BOTTレースにSRレーサーで出場。SE(シングルエキスパート)クラスの結果は、1位と僅差の2位。 |
1985年1月 |
SRXレーサーを走らせる。 |
第3回BOTTレース・SEクラスに、エントリー名XT600改で出場。実はこのマシンは発売前のSRXだった。同時にTZR250鉄フレームにSRエンジンを搭載したレーサーも走らせ、その後シングルレース界に大きな影響を与えることに。 |
1985年3月 |
SRX-4・SRX-6が発売 |
同時にSR400・500も大幅にモデルチェンジされ、取扱車種が増加した。同年ホンダからヤマハビッグシングルのライバル車として、GB400・500がリリースされ、シングルバイク業界は活況を博す。 |
1986年8月 |
ALSILスリーブを開発 |
内燃機エンジンのフリクションロス軽減を狙って、革新的なアルミシリンダー・スリーブを開発する。素材はポルシェ911に採用されているものとほぼ同質。SR・SRXチューンドエンジンの多くが使用した。 |
1987年12月 |
シャシーダイナモを導入 |
西独ボッシュ製ダイナモを設置。有名チューニングショップでも置いてあるところは少なかった。 |
1989年6月 |
オリジナルバイクを開発・発売 |
英国スポンドン社のアルミフレームにSRXチューンドエンジンを搭載したスポンドンMIRを開発。エコー・デ・カルトESクラスに2位入賞。その後、公道仕様車をリリースする。 |
1994年8月 |
商標をAAA(スリーエー)に改名 |
埼玉県八潮市に移転。ワークショップ形態となり、工作機械を充実する。引上・納車サービスを開始し、各地からカスタム・チューニングの依頼が急増することになった。 |
2002年11月 |
埼玉県越谷市に移転 |
国道4号バイパス沿いの3階建屋で、広いスペースを確保。1階は作業スペースと工作室、2階は車両と部品のストックヤード、3階はミーティングルーム、屋上物置にもパーツを数多く在庫する。 |
2009年9月 |
シャーシーダイナモを変更 |
米国ダイノジェット製シャシーダイナモにボッシュ製からチェンジ。アナログからデジタル化となる。同時に空燃比計を設置する。キャブレターセッティングの精度が高まった。 |
2010年3月 |
無電解メッキスリーブの開発 |
ALSILスリーブに替わり、ニッケル・ボロンを含有するアルミメッキシリンダーを開発。ALSILスリーブ以上の特性を保持し、更に強度も増した。AAAチューンドエンジンの定番となる。 |
2010年10月 |
シャシーダイナモにリダーダを増設 |
フュエルインジェクションチューニングに必須の条件となる、リターダを用意。SR FI(フュエルインジェクション)の発売に合わせて導入する。 |
2011年11月 |
FI公道仕様開発を始める |
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2012年5月 |
SR FIレーサーを製作 |
SRでFIチューニングの高いポテンシャルを追求するために始まったプロジェクト。ライダーはSR最速ライダー薄井哲也選手。7月1日がデビュー戦となる。 |
2012年7月 |
つくばサーキットにてSR FIレーサー参戦中 |
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